せんしん(川心)のブログ

強迫性障害・統合失調症・うつ病の寛解に至った、メンタル克服日記

"無"になろう♪


「無」になる


ここで言う「無」になるとは こころの有様を指し示します


わたしは 精神疾患を患い 到達した気持ちのひとつとして


「なにも感じなく成る」には どうすれば 良いか・・・


現実的な迷いが よしんばあったとしても それを追わず


無心となることが できたなら どんなに安心な気持ちと


化すか・・本を読み漁ったり、尊敬する人の話を聞いたり


探求してきました


その中の私の基準として


・何事にも正しさが背景にあるか否か


これは、何をするのにも、基本が正しいかどうかで
有って、却って基礎を無視をすると、痛い目にある場合が
確率的に言っても高いといえます


・人の持つ二面性はどう処理すべきか


人は独りでいる時でも、眠っている時でも、
外面と内面とに分かれます。子供ときのように
何も考えず熟眠のできる、環境下にあるひとは
あるがままを受け入れ、問題提起しない風潮にあると感じます。


しかし、そのような人でも、朝目が覚め、仕事へ行き、
食事をし、お風呂へ入り、テレビやラジオを楽しみ、
一定の規範の中で生活をしています


中にはとても厳しい、環境下で文句ひとつ言わず、
生き抜いていらっしゃる方も居るのも事実です


どうであれ、五感が不快に感じストレスとなって時点
で、人は「無」から遠ざかってしまいます


・感謝は「ツール」ではない


また、感謝心を持つと世の中が上手くいくと言った
ような自然の法則があるのも、事実だと思われますが、
かといって、その背景に我欲が介在していると、あらぬ
ところで、痛い目に有ったりして、動揺してしまいます


・無神論でも「無」になれる


また、神仏や目には見えない、世界を信じることが
できないので、否定も肯定もできない人々は、無になど
到底成れないと、決め付けてしまうのも、対極的な想念
であり、宗教的な事案と、「無」のそれとは切り離して、
考えて差し支えないと思います。


・大切なのは「独立独歩」


独立独歩というのは、他の力を借りることなく、独自の
信念を立てて、ひたすらに前進をするという、意味が
含まれます


これは、ある意味こう考えることも出来ます。上の
無神論とは逆で、神仏をこよなく愛し、信じて、その
世界観から救われ、自身の独立した概念で、生活をして
いる人も、「無」という境地にいたる範囲で表現すれば、
その人もまた、「独立独歩」が規範にあると捉えることも
できます。


・迷いを無くすことの重要性


迷い悩むという行為や考えは、人間特有の心理でありますが、
精神にも大きく負荷が掛かるような、心理状態は決して、
健康とはいえません。健康とは、精神と身体の両面が揃って
はじめて健康と言えると思います。


人は悩むには、それぞれ「要因」と「原因」が混在します。
「要因」とは、マイナス的な思考が根底にある場合が多い
個性を持っている人、「原因」とは実際の諸問題です。


どのような方でも、世の中を安心して生き抜いている状態
が、永久に続いていれば、「死」も恐れるに足らずです。


「苦」続けば、疑心暗鬼となって、何事にも不安や恐怖が
前提に立ってしまいガチなので、嫌な予感が的中して、
しまったりもし易くなります。


されど、「あるがまま」を受け容れて生きている人は、
極論を言えば、明日アナタは必ず死にますと、言われたと
しても、素直にその言霊を受け入れ、悩まず、そんなことは
死んでから考えれば良いとプラスに取れるでしょう。


・「無」への近道は「追わない」こと


人は内面的・外面的にしろ、何かストレスを感じるとその
思考に対して、追って捉えて、認識して、そのストレスから
解放されようと、努力をする一種のシステムみたいな現象が
起きます。


これは、普通の心理であり、決して珍しいことではありません。
しかし、これが常に頭から離れない問題として、個人の中で
大きく、マイナスの状態が頭から離れないとした時には、思考
が常にその原因と要因を追い込んでしまい、不安と恐怖にかられ
ている状態です。


そんな時に冷静になるには、「これは脳の作用であって、ただの
思考回路が一時的に不安定となっている」という、客観的な判断
をなるべく、することです。


なぜなら、マイナスの諸問題をマイナスな思考でよしんば、解決
に導こうとしても、たいした結果が得られないだけでは、なく、
さらにそういった考えが、将来の出来事に対して、反発を招く
恐れがあるからです。


例えば、月末までに50万円の支払いがあったとして、どうあがい
ても、そんな大金は作れないと言ったような究極の状況下にある
のならば、焦って月末までの一日を無駄なエネルギーに変換して、
最悪の状態を受け入れるしか、無い場合と、逆に反省ではなく、
自分の中で、プラスに転じる考え方が出来るか否かだと私自身は
感じます。


人はそういった究極の立場からしか、見えない神秘的な物が中に
あって、それは対象物ではなく、自己の外面と内面とが、ひとつ
の単体心理となるときです。


逆転満塁ホームランなどと言った現象ではなく、そんな時だから
こそ、冷静沈着になることも可能なのです。確かにお金が原因で
自死にまで至る経緯の方もいらしゃるの事実です。


そんな心理の時こそ「無」になることができる可能性が大きく、
発展できるチャンスだと、信じてやみません。


現実の問題が大問題となって見えてしまうから、苦しくなって
しまう、思考を追わずストップさせて、大きく深呼吸をして、
不安や恐怖から、無理に逃れようとせず、見つめて、ただひたすらに、
「大切なにか」を人は垣間見えることでしょう。


繰り返し、負の思考が襲ってきても、その思考を切り離すこと
だけに、チカラを注ぎ、自然に感謝することが、可能となった
とき、人は見えなったなにかが視え、考え方も変わり、また、
新しい何かを発見し、ましてや、昨日までの心の地獄さえも、
除滅し、捉われの心から離脱し、大問題に対して、紐解くことが
可能だと言う能力は、誰しもが持ち備えているからこそ、人は
生きることができます。


「無」になることは、たやすいものではないと、先人に言われ
たことがあります。なので私は生涯、無になるにはどうしたら
よいか? ということを一生のテーマとして、これからも生き
続けて行きます。


せんしん

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